2026年11月3日、スペイン2部・CDテネリフェのFW、ヘスス・デミゲル選手(30歳)が亡くなったと、クラブが発表しました。試合中の衝突がきっかけでした。日本のニュースで名前を知り、「どんな選手だったのか」「家族はいるのか」が気になった方も多いのではないでしょうか。この記事では、クラブの発表と国内外の報道をもとに、デミゲル選手の経歴と家族、事故の経緯を整理しました。下部リーグから一歩ずつ上がってきた選手の歩みがわかります。
- ヘスス・デミゲル選手のプロフィール
- 4部・3部から2部にたどり着くまでの経歴
- 家族(妻と娘)について報じられていること
- 11月2日の試合で起きたことと、その後の対応
目次
ヘスス・デミゲルのプロフィール
ヘスス・デミゲル選手は、スペインの首都マドリードで生まれたストライカーです。身長は約1m89cmと、前線でボールを収められる大柄な選手でした。テネリフェでは背番号9を付けていました。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | ヘスス・デミゲル・アラメダ(Jesús de Miguel Alameda) |
| 生年月日 | 1996年9月21日(亡くなった時点で30歳) |
| 出身地 | スペイン・マドリード |
| ポジション | FW(センターフォワード) |
| 身長 | 約1.89m(ESPNでは1.88m) |
| 所属 | CDテネリフェ(スペイン2部)、背番号9 |
生年月日と出身地は、英語版Wikipediaのデータと、スペイン紙エル・エスパニョール、テネリフェの地元局RTVCの報道で一致することを確かめました。身長は媒体によって1cmの差があるため、両方を載せています。
ヘスス・デミゲルの経歴
デミゲル選手の経歴は、ひと言でいえば「下部リーグからの叩き上げ」です。ユース時代はマドリード近郊のルーゴ・フエンラブラダとレガネスで過ごし、2015年にレガネスBでシニアのキャリアを始めました。そこから2部に届くまで、およそ9年かかっています。
下部リーグで9クラブを渡り歩いた
デミゲル選手が所属したシニアのクラブは、テネリフェを含めて9つです。この数は、英語版Wikipediaの経歴表と、移籍履歴をまとめたSoccerway、カタールのアルジャジーラの報道(「レガネスBでデビューしたあと、ほかに8クラブでプレーした」)で一致しました。
| シーズン | クラブ | 主なできごと |
|---|---|---|
| 2015-16 | レガネスB | シニアのキャリアを開始 |
| 2016-17 | ルーゴ・フエンラブラダ | 14得点 |
| 2017-18 | インテルナシオナル・デ・マドリード | 当時の3部(セグンダB)への昇格を経験 |
| 2018-19 | フエンラブラダ → ウニオン・アダルベ(期限付き移籍) | シーズン途中に移籍 |
| 2019-21 | ナバルカルネロ | 2シーズン在籍 |
| 2021-23 | ウニオニスタス・デ・サラマンカ | 2021-22に12得点 |
| 2023-25 | CDカステジョン | 2023-24に16得点でグループ得点王、2部昇格 |
| 2025- | CDテネリフェ | 2025-26に11得点、2部昇格 |
表の得点は、2つ以上の情報源で数字が一致したシーズンだけを載せています。ナバルカルネロ時代の得点は、媒体によって数字が大きく違うため省きました。
ちなみに、テネリフェの本拠地エスタディオ・エリオドロ・ロドリゲス・ロペスは、デミゲル選手にとって縁のある場所でした。RTVCによると、2018年5月にインテルナシオナル・デ・マドリードの一員としてこのスタジアムでテネリフェBと戦い、昇格を決めています。7年後にそのクラブのエースとして戻ってきたことになります。
カステジョンで得点王、27歳で2部の舞台へ
デミゲル選手の名前が広く知られるようになったのは、2023年1月に移籍したカステジョンでの活躍からです。2023-24シーズンは3部(プリメーラ・フェデラシオン)のグループで16得点を挙げて得点王になり、クラブの2部昇格の立役者になりました。
そして2024-25シーズン、デミゲル選手は初めて2部(ラ・リーガ2)のピッチに立ちます。1996年9月生まれなので、開幕した2024年8月の時点では27歳でした。サッカー選手の多くが20代前半でプロの上位リーグに出ることを考えると、遅咲きと言えます。データサイトのFotMobによると、このシーズンの2部では3得点・3アシストを記録しています。
テネリフェで2部昇格に貢献
2025年7月8日、デミゲル選手は3部に降格したばかりのテネリフェと、2028年6月30日までの3年契約を結びました。クラブはこのとき、カステジョンでの16得点を挙げて「攻撃の補強」と紹介しています。
テネリフェでは開幕から結果を出しました。スペインサッカー連盟(RFEF)によると開幕2試合で2得点2アシストを記録し、RTVCによると第2節は2得点の活躍でリーグの週間MVPに選ばれています。シーズン全体では11得点を挙げてチームの主な得点源となり、テネリフェは1年で2部への復帰を果たしました。
キャリアの数字を単純に計算すると、2015年から2026年までの約11年で9クラブなので、1つのクラブにいた期間は平均1年2か月ほどです。短い契約や移籍を繰り返しながら、少しずつ上のカテゴリーへ進んだ選手だったことがわかります。
ヘスス・デミゲルの家族
デミゲル選手には、妻と娘がいると報じられています。米AP通信(ESPN・ABCニュースが配信)とユーロニュースが、いずれも「妻と娘を残して亡くなった」と伝えました。
テネリフェの筆頭株主ラジコ・ガルシア氏は、家族の希望により、デミゲル選手の遺体がスペイン中部トレド県のナバエルモサに移されると明らかにしています。チームメイトやクラブ関係者も現地で最後のお別れをするとのことです。
家族の名前や詳しい状況については、一部の報道で触れられているものの、複数の情報源で確認できず、またクラブが家族のプライバシーへの配慮を求めていることから、この記事では載せていません。
ヘスス・デミゲルの事故の経緯
事故が起きたのは、2026年11月2日(月)に行われたスペイン2部、テネリフェ対FCアンドラの試合です。2-2で迎えた後半アディショナルタイム、センターライン付近でボールを追ったデミゲル選手に、ペナルティエリアを大きく飛び出してきたアンドラのGKヘスス・オウォノ選手が衝突しました。
AP通信やエル・エスパニョールによると、デミゲル選手は胸を強く打ち、ひざをついたあと仰向けに倒れました。オウォノ選手にはすぐにレッドカードが出され、試合はそのまま打ち切られています。デミゲル選手は心停止に陥り、蘇生処置を受けて、ヌエストラ・セニョーラ・デ・カンデラリア大学病院の集中治療室に運ばれました。しかし容体は回復せず、クラブは3日の現地時間午前8時に亡くなったと発表しました。
デミゲル選手の死を受けて、スペイン国内では追悼の動きが広がりました。AP通信とエル・エスパニョールによると、レアル・マドリードは練習中に黙とうをささげ、エスパニョールは新監督の就任会見を延期しています。
衝突した相手のGK、ヘスス・オウォノ選手の経歴や事故のあとの様子は、こちらの記事でまとめています。
よくある質問
- ヘスス・デミゲル選手は1996年マドリード生まれ、30歳のFW
- 下部リーグで9クラブを渡り歩き、27歳で初めて2部の舞台に立った
- カステジョン、テネリフェの2クラブで、得点源として2部昇格に貢献した
- 妻と娘がいると報じられている
- 11月2日の試合中の衝突で心停止となり、翌3日に亡くなった
ヘスス・デミゲル選手は、華やかなエリートコースではなく、下部リーグで結果を積み重ねて2部にたどり着いた選手でした。ようやくつかんだ舞台で、これからというときの出来事です。
運営者のひとこと
長くスポーツの情報を発信してきましたが、サッカーの試合中にこのような悲劇が起こるのは珍しく、非常に悲しいです。デミゲル選手も、ゴールキーパーがハーフライン付近まで出てくるとは想像できなかったと思います。今回の件では警察が捜査を始めており、どのような経緯だったのかは今後明らかになるはずです。同じような悲劇を繰り返さないよう、再発防止に向けた改善が進むことを願っています。
亡くなられたデミゲル選手のご冥福を心よりお祈りするとともに、ご家族とチームの皆さまに深くお悔やみ申し上げます。(ピクスポ運営者)
参考にした情報
- CDテネリフェの公式発表(各報道が引用したもの)
- ESPN、ABCニュース(AP通信の配信)
- ユーロニュース、アルジャジーラ、CNN
- エル・エスパニョール(スペイン)、RTVC(カナリア諸島の公共放送)、スペインサッカー連盟(RFEF)
- 英語版Wikipedia、Soccerway、FotMob
情報の確認日:2026年11月4日












