宮間あやの両親、父親などの物語が感動!高校時代のエピソードなど

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なでしこジャパンのキャプテンとして、皆を引っ張るリーダーであり、
試合中もその両足から繰り出される正確なパスと、運動量、
そして、状況判断能力は世界最高レベルと言われている宮間あや選手(岡山湯郷ベル所属)


実は、彼女は小学生時代は登校拒否児だったことは、あまり知られていません。


サッカーとの出会いや、両親の教育方針によって、
今では日本を代表する立派な選手になっていますね。


今日は、そんな宮間あや選手の高校時代、両親についてピックアップしていきます。

 

 

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小学生の頃は登校拒否児童だった!?


宮間あや選手は、小学校の1年~3年の間は、登校拒否だったそうです。

 

その原因はなんだったのかというと、
母親の宮間 洋子さん(52)いわく


「幼稚園の年長組のころに園内でうさぎを飼っていて、
園児たちで飼育を担当することになったんです。
あやもその担当に選ばれて張り切っていたのですが、
他のお友達がその仕事を忘れてしまい、になってしまった娘は、とまどって飼育ができなかった。
その時に先生に“みんなが面倒見ないとうさぎが死んじゃうのよ”と怒られたみたいです。
その言葉にショックを受けて、幼稚園に行くことに抵抗を持ち始めたんです」

 

ということですが、そんな宮間選手に対して、
両親は、学校に行くことは、決して強要しなかったそうです。


そんな両親の教育方針によって、
どんどん自分からサッカーを好きなり、サッカーをするために学校へ通うようにもなりました。

 

宮間あや選手のサッカーとの運命的な出会い


そんな宮間選手とサッカーの出会いは、小学1年生のころ。

父親が、子どもたちのために、サッカークラブを設立し、そこに宮間あや選手も入団し、
本格的にサッカーを始めることになりました。

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当時は、女子がサッカーをしていることが珍しかった時代だそうですが、
宮間選手は、男子に混じってプレーをしていて、
小学校6年生の時には大事な試合で決勝ゴールを決めるなど、当時から活躍していたみたいですね!

 

 

宮間あやの高校時代は?

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高校は、千葉県幕張総合高校に進学しています。

 

父親には、中学生まで指導を受け、中学2年生から東京稲城市のチーム
「読売メニーナ(現・日テレメニーナ)」に所属していましたが、
事情により、高校2年の時点で退団。


それ以来は、千葉県立幕張総合高校の男子サッカー部で、男子と一緒に練習していたらしいのですが
試合にも出られず、日本女子代表への招集も逃してしまうというジレンマに陥っていました。。。


しかし、そんなときに元女子サッカー代表の本田美登里さんが率いていた
「岡山湯郷Belle」に誘われて入団。


当時はまだクラブができて間もない時期でしたが、
宮間選手も、学校の長期休暇などをとり、千葉から岡山に通って
練習や試合に参加していました。

 


私はいつも周りの人に支えられている

身長は157cm 体重は50キロと、
スポーツ選手としては、体格的には比較的小柄な選手ですが、
彼女の奮闘は、チームに大きな影響を与えています。


それは、ピッチの上だけではなく、ピッチの外での行動でも現れています。


後輩とのコミュニケーションもかかさずに
チームメイトからも慕われています。


練習中も、宮間から出される指示はストレートかつダイレクトだそうで、
そこまで言って大丈夫?とこちらが心配になるくらい厳しい口調でゲキが飛ぶこともあるそうだ。

にも関わらず、チームメイトから尊敬されて、慕われているということは、
それだけ人間性の良さや、練習に対するひたむきさがあるのでしょうね。^^

 

彼女のこれからの活躍にも大きく期待しましょう!

 

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